オンロードとオフロード
W800を購入して3年が経った。
半年で10000km走るこのペースではすぐにWを乗りつぶしてしまう!
そう考えて目をつけたのはYB125SPという中国YAMAHAのバイクだった。
その後、妻に『タンデムだけじゃなくて一緒にバイクに乗ってどっかに行こう!』という提案をして、免許を取りに行ってもらっている間に購入を決めた。
当時は車もなかったし、我々の移動手段はもっぱらバイク。
それぞれバイクに乗って旅をしてみたかったのだ。
スーパーカブ、CD90、ST250E、W800と乗り継いできてある程度の修理・点検は出来るようになっていた。
スーパーカブサイズならタイヤ交換も出来る。
下駄にアフターサービスを何も求めるつもりはない。
そんなつもりで、乗り出し価格が一番安い場所を探して購入した。
その結果、なんと乗り出し17万である。
同じエンジンを積んでいるアプリ○アとかBE○Aの車両は50万くらい。
しかし、そんなブランドにも使われるという信頼感はとても良い。
ちなみに当時はW800とスーパーカブ50が家に居た。
この1992年製のボロボロのカブはとの付き合いは21歳のときからだ。
一人暮らしを初めて最初の大きな買い物だった。
緑の車体に黄色いTakegewaのサスペンション。
防寒用の前掛にが大きなリアボックス付いていたから、雨の日の通勤で未だ現役で働いてくれていた。
YB125SPを買って3ヶ月、スーパーカブは教習所に通い始めた妻専用機になっていた。
自分は新しいおもちゃに浮かれて雨の日だってYB125SPで移動。
気づいたらスーパーカブに乗ることも少なくなっていた。
車の免許はあったので、実技だけを着々とこなす妻の教習も残すは効果測定、YB125SPに乗れるようになるのも後少し!
そんな日に嫉妬に狂ったスーパーカブは死んだ。
聖蹟桜ヶ丘の坂を稲城から登っている最中に焼き付きを起こしたらしい。
ツーリングに出かけていた所に妻から訃報があった。
享年25歳である。
そんなカブを尻目にYB125SPはよく働いてくれた。
新車で買って2年間、晴れの日も雨の日も往復50kmの通勤路を走り続け、何度もキャンプにも連れ出したし、原付きで東京から白川郷を目指す旅のお供になってくれた。
更には一時停止無視のハイエースにはねられて、正に身を削って車体の6倍くらいの金額を稼ぎ出したりしてくれた優秀な子だった。
以前に乗っていたCD90よろしく、スクーターライクの乗車姿勢を作るためにつけられたアップハンのポジションは少しかっこ悪いので、コンドルハンドルをつけてみたり。
スーパーカブさながらの静かさと、粉体塗装でピンクに焼けてきてしまうマフラーは、ちょっと迫力のある社外製のものに。
カブでサスペンションを変える感動を味わったのでYSSの物を奢ってやったり、サイドバッグを取り付けるためにウィンカーを移動したりビキニカウルをつけたりと一通りいじったある日。
オフりてぇな…。
そうなるのも時間の問題だった。
W800はホームページの更新を怠っている間に、コンドルハンドル逆つけで、カフェシートにビキニカウルの完全にカフェレーサーもどきになっている。
そしてYB125も今更ダートトラッカー方面でいじるにはハンドル周りにやって来たことがもったいない。
両方とも積載&オンロードは強いがオフロードには向かなくなっている中、キャンプで悪路を走るたびに欲は募っていたのである。
チェーン伸びるのを気にせずに…悪路走りてぇな。
というか、固定ステップどうにかしてぇな…。
せっかくのハンドル更に交換するか?ヘッドライトまた変えるのか?
カウル外すのか?
オフ車買ったほうが早くね?
となった結果、KLX125が生えて来ました。