珈琲を焙煎しながら想う事

…雨中の相原はとても冷え込むので私は自分の必要な分の珈琲豆を焼くことにした。

=私の近況=
最近、私の中からエフェクター等の楽器に対する物欲が消えてる。
欲しいもんって言ったら電気系統の予備パーツ位だ。

最近では専ら増えすぎた持物をオークションに出品する一方である。
しかし、それは11月に念願の某ギターアンプを買ったり、12月に一生物の(つもりの)ギターを買っちゃったり、そのギターのパーツの全換装を1月にやってたからであって、暫くして噴き出して来るのかもしれない。


=サウンドメイクと増えてく機材=
誤解を招く前に言っておくが、私は闇雲に物を欲しがっている訳ではない。
『必要』だと思って購入したものが『検討外れ』だっただけなのだ。

私はサウンドメイクにおいて、先ず『理想のサウンド』を思い浮かべるようにしている。
そして、現状の手元にあるパーツとそのサウンドを把握し、『奏者の腕(演奏力)』から『理想の音』迄を水道管ゲームの様に繋げ合わせていくのである。

その際、「コレが足りない」だとか「アレが足りない」だとか出てくるので、それをカバーするパーツをネットの音源等で探して当てはめてみるのだが、これが中々思うように嵌らない。
それもその筈、途中繋ぐ『パーツ(アンプやエフェクター等)』は勿論、『奏者の腕』というスタートの位置から違ってきているから当然である。

かといって、店頭での試奏においても実際使用する時の音量・設定で鳴らせる訳ではなく、アンサンブルの中で試すという事もできないので、買ってみて練習中に鳴らすと「試奏では良い音だったのに!」という現象が起こる事になる。

そして、出品するエフェクターが増えていくのである…。

 

=サウンドメイクという概念=
さて、先に音作りを水道管ゲームで例えたが、私はどちらかというと『掛け算』に近いと思っている。

あるnと言う音をxというブリッジPUで拾い、0.9/1mの性能を持つ配線3mで、yという音の成分を加えるODを通し、zという特徴のアンプで鳴らした時の答えを求めよ A.0.729nxByz
…みたいな感じで計算できそうだ。

ステレオコーラスやディレイ、オクターバー等を使う場合は『足し算』的な要素も出てくるので『和差算(二次方程式)』なのかもしれない。
フレーズなどを考える時において良く用いられる『音の引き算』とは逆の考えである。

そこで良くつかわれる『音価(1音の価値)』という考えはサウンドデザイン的な考えがあって面白いのでいつか触れてみたい。

=ちょっとした意地=
サウンドメイクと増えてく機材で書いた『中々思うように嵌らない機材』なのだが、必ずしも直ぐ出品されてしまう訳ではない。

元来、貧乏性な私は『せっかく大枚をはたいて買った機材なのだから!』とその機材を使い続けるという、サウンドメイクにおける考えと異なる行動をとる事がある。
とどのつまり私の意地でしかないのだが、案外こういった意地で使い続けた機材がその後『化ける』事もある。
簡単に言うと、単体だと『-(マイナス)』の機材も『-(マイナス)』と併用した時に『+(プラス)』になるみたいな話だ。

そもそも、『奏者の腕(演奏力)』や『パーツ(アンプやエフェクター等)』は違えど、基本的には音源や試奏の時点である程度好みの音が出ているのだから、そこにちょっとした要素を掛け合わせる事で『ドンピシャ』が生まれる事もあるという事だ。

結果良ければ全てよし、割といい加減である。


=私の物欲=
思い返してみると、珈琲に関しては割とストイックだ。
贅沢というならば一人暮らし記念に銅のドリッパーを買った位なもんである。
買い足している物は、フィルターと生豆位で、焙煎機も今使っている手回しの物でなんだかんだ事たりていると思っている。

そして、カメラもそうだ。
3年前に発売されたPanasonicのGF-1と付属の40mm F1.7と、後に買った28mm F2.5の単焦点レンズの2本で事足りている。

あぁ、『私の世界』は今が一番良いバランスなのかもしれない。
技術の発展もこのまま打ち止めになってしまえ!

現状に満足している私は、新しい物が生まれなければ此の侭多くを求めずに居れるのだ!!

まぁ、それはそれで面白くも無い気がする。
刹那的であるから綺麗な物もあるわけで…。
なんて、煩悩まみれで焙煎をしていたら失敗しました。
珈琲神は見ておられたのだ!(黒こげになった珈琲豆をつまみながら。)

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